【ELLEGARDEN】知らない人にぜひ知ってほしい、細美武士のパーソナリティがよーく分かる話!

【ELLEGARDEN】知らない人にぜひ知ってほしい、細美武士のパーソナリティがよーく分かる話!

どうも、パンク大好きデミさん(@Takenoco0803)です。

今回は2018年8月6日にアップされた、女優・木内みどりさんのネットラジオ「木内みどりの小さなラジオ Vol.3」の文字起こしです。ゲストは細美武士。

2018年3月24日、山口の上関原発反対の集会でジャーナリストの津田大介とこの2人でトークショーをし、そしてその後細美さんは弾き語りをしたそうです。

【細美武士】がボランティアやチャリティについて考えるきっかけを与えてくれる。

知ってる人も知らない人も、細美さんが自分の過去のこと(音楽活動以外のこと)をここまで饒舌に語るのは非常に珍しいのでぜひ聴いてほしいなと思います。なお、木内さんのお話はちょいちょい端折ってます(笑)

完全版はYouTubeにあがってるので参照しておきます。

長いので前編と後編に分けます。今回はその前編です。



初めてバンドを組んだ時の話

木内みどり:歌を歌うのが向いてるなと思ったのはいつですか?

細美武士:中学生くらいからバンドはやってたんですよ。最初はギターだったんですよね。当時、自分らが中学生とか高校生くらいの時ってハードロックっていう、ヴァン・ヘイレンとかモトリー・クルーとか、ちょっとヘビーメタルの要素が入った、でもメロディがちゃんと入ったもう少しポップな感じの、結構激しい音楽なんですけど、みんなそれをバンドで、コピーバンドでやりたいって言って始めたんですよ。で、自分がつるんでた連中が始めたんで、俺も何か始めないと一緒に遊べなくなっちゃうじゃないですか?だからギターでも、って思って、サイドギターって一番楽なポジションにいって。コードだけ弾いてればいい、ってポジションにいたんですよ。で、ある日、そのバンドのボーカルが、風邪だったかな?練習、突然来れないってなって。で、俺、結構暇…暇っていうか大したことやってなかったので、じゃあ練習で歌っとくよ、ってなった時に、結構みんなの顔色が変わって。で、ボーカルが俺になった、って記憶してるんですよね。

それで歌ってるうちに、ちょっとこの話長くなっちゃっていいですか?結構自分は学校では浮いてる存在だったので…全く馴染めなかったんですね。全員敵だと思ってたので。先生も嫌い、友達なんて要らないって。孤立してた、自分でそうしてたし、一緒にされたくないって思ってたんですよ。だから当然ものすごい嫌われてたし。だけど、学園祭でバンドでライブに出るじゃないですか。で、歌ってるときだけ、普段は俺のことを何か面倒くさそうな顔で見てたりとか見下してるような顔で見てた、その、全く同じ顔が、笑顔になったんですよね。で、ほとんど人生で初めて、沢山の人の笑顔に囲まれていたのがステージの体験なんですよ。歌ってない時はすごく嫌そうな顔に囲まれてるんですけど、歌ってる時は笑顔に囲まれてることが多くて。そこで、「ん?歌うってすごい好きだな」って思ったことがあるんですよね。

 

高校中退後の話

木内:外国語大学に行ってた?すごく自分でアルバイトをしてお金を貯めて…ってことを読んできたんですけど。

細美:いや、自分のウィキペディアを見たことはないですけど、もちろんいい加減だと思うんですけど、ちゃんと自分の親にお金を出してもらって大学に行ったんですけど。あのー、そういう(前述の)性格もあったし、もともとは学校でバンドやってたけどバンドでプロになりたいなんて思ってもなくて。それは楽しいからやってただけで。

あのー、どっちかって言うとオートバイのほうが好きだったんですよ。なので、高校2年生の12月で高校をやめて、工場とか建築(現場)の方で働き始めて。で、バイクのロードレースに人生をかけてやってみようと思って。で、やったんですよ、しばらく。で、まあ途中で、全然才能がなくて。本当に最初に自分が子供の頃に思い描いてた夢っていうのは、世界チャンピオンだったんですよ、レースの。自分はワイン・ガードナーとか、ケビン・シュワンツとか素晴らしいレーサーがいて、いつか俺もその中に、自分も真ん中に立ってシャンパンを抜いている、ような夢を描いてたんですけど、まあ本当に遅くて、下手くそで、ダメで。

で、あの、夢砕かれたあとも、ペースト工場、歯ブラシとかの原材料になってるプラスチックのものすごい細かい、ペーストっていうのがあるんですけど、その原料をタンクローリーに積む、っていう工場にいたんですね。で、そこに朝8時とかに行って、朝礼をやるじゃないですか。で、あのー、ああいう工場って、例えば学歴も全然ない、自分みたいな中卒の人間が入れる場所と、いわゆるプロパーで高校大学出て就職活動をして、そこの会社の社員になって入った方と、ご飯を食べる場所も違うし、入れる場所も違うし。自分がいたところはとにかく重いものが持てればいいっていう…ま、お給料は本当に良かったんですよ!で、朝の朝礼でラジオ体操やってる時に、自分は16か17じゃないですか。で、周りはもう他で定年された方とかが、フォークリフトとかの免許を持ってる方とかが来てて。で、同世代が全くいない、そこで、レーサーになるために、一時、そこにいるだけと思ってたので、ここにずっといる訳にはいかないなって思ったんですよね。

で、どうしようかなって。ロードレース、チャンピオンになれると思ってた自分がなれなかった時に、もしかしたら俺は一人では何もできないじゃないか?っていう気がして。で、面白いやつに出会いたいなーって思って。地元の、バイクに乗ってる仲間はいたんですけど、ちょっと、違う人の波に揉まれてみたい、ってことで、で、実家に帰って、まあ両手をついて土下座をして、「お願いします、大学に行かせてください!」って言って、大学に行ったんですね。

 

大学在学中の話

木内:ご両親は受け入れてくださったんですね。

細美:そうですね、母親には泣かれましたね。「初めてお前の素直な言葉を聞いた」て言って(笑)

木内:で、大学に入った。すごい勉強した。

細美:はい、なんとか4年で卒業しました。最初の1年ってすごく頑張ったんですよ。中学高校の勉強ってちょっと軍隊的なとこがあるじゃないですか、制服が同じで校則があって。個性も許されないし。その、自分が学びたくもない、俺、特に数学がダメだったんですけど、「この公式を覚えなさい」「いや、なんでそうなってるのか理解できないことを覚えたくない」って言ってたんですよ、先生に。「いいのよ!なんとかの2乗×なんとかの2乗はなんとかなの!」って。もうそれが嫌で。

でも大学って違うじゃないですか。行かなくたって別に怒られないし、ただ単位は取れないから留年しちゃうとかは自分の責任だし。その、学びたければ教えますよ、みたいなところは大学はとても面白くて。勉強自体は、知らないことを知るのが楽しくない人間なんていないと思うから。勉強自体はすごく、好きなんですけど、受験のための勉強はやっぱり納得いかなかったですね。だから最初の1年がすごく楽しくて。あのー、(勉強は)やってました。

でも、2年くらいから、何ていうんですかね、あのー、パチンコですかね?(笑)すごい時期だったんですよ、一時期。あのー、その時期は消費者金融とかにみんな手を出しすぎるくらい中毒性のある、まあほんと面白かったんですよ。4号機って言われる(のがあって)。パチンコですよ?一日100万とか150万とか勝っちゃう、大勝ちするときはそれくらいあったんですよ。そういう時代で、2年3年と少しづつ単位が減ってって、4年の頭でちょっと、単位が足りずに卒業見込みが出ないっていう。で、そんな経緯で大学入ってるのに留年はもうできないから4年はすごい勉強をしました。4年生の1年間は結構ちゃんと勉強しましたね。目が覚めました(笑)

木内:良かったですね、無事に卒業できて。

細美:そうなんですよ、結構計画性無く履修してたんで。このカテゴリーから何単位とか、大学って決まってるじゃないですか?だから1個でも落とすとダメ、みたいな状況だったから、結構ヒヤヒヤしてました。

木内:のめり込む自分と、ブレーキをかける自分とちゃんといたわけですよね。

細美:いやー、わかんないですけど、若い頃ってみんなそうなんじゃないかと思うんですけど、よし、俺はあれをやるぞって思っても3日くらいしか続かなかったり。例えば大学生の夏休みなんて2ヶ月とかあるじゃないですか?2ヶ月も休みがあるなんて仕事し始めたら無いのは知ってるから。自分は働いてたんで。じゃあこの2ヶ月間、こんなに時間がなければできないことを成し遂げようって、最初の3日間位は思ってるわけですけど、結局ダラダラして終わるっていう、のが続いてて。あー俺はそういう人間なんだって、ストイックに努力はできない人間なんだって思ってたんですけど。それが30代の半ばくらいから、やるぞって思ったことがちゃんとできるようになったりしてって。あ、子供ってやっぱり多動性っていうのがあるのかなって今は思いますね。



自由の話

木内:人のせいにしないじゃないですか?バイクとかやるぞってなったときも、学校行くぞってなってパチンコにハマっちゃった情けないときも(笑)それでも軌道修正して。人のせいにしないで自分が間違ったって思える素直さがやっぱり宝ですよね。

細美:いや、そう言って頂けるとすごくうれしいですけど、多分発想としては逆だったんですよね。あのー、全部自分で決めたかったんですよ、何をするのか、とか。とにかくあまのじゃくで。命令を聞くのだけは絶対に嫌で。自分の中の価値観で最も大切なものは考えるわけもなく自由。自由というものが他の何より絶対的に大事で。人との関係性や、自分の人間性なんてものは二の次三の次。これがやりたいと思った時にやれない理由があるなんて嫌だ、ってただそれだけだった。ですけど、自分で決めてやっていくと、まあ人のせいにする機会がないんですよね(笑)誰かの命令を聞いて、「これをやりなさい、この仕事に就きなさい」って言われて就いてしまった時に出てきた不満っていうのはきっと、「あなたの言うことを聞いたのに!」ってなるんです。でも(僕は)それがないから、誰のいうことも聞いてないから(笑)

木内:それで、サンフランシスコにいらっしゃった?

細美:ちょこっとですけどね、延べで3ヶ月位じゃないですかね。行ったり来たりはし続けていて、日本でもアメリカでも、その、何ていうんですかね、仕事で行ってたんですけど。

木内:私も中卒なんですよ…回れ右って言われた時にどうしてあなたにそんなこと言われなきゃいけないの?って言う(笑)(中略)だからその辺似てるなーって思って。

 

子供の頃のエピソード

木内:細美さんは小さいときから何一つ変わってない。売れてても売れてなくても。ネパールに旅行に行っても行かなくても。それはどうですか?

細美:あのー、よく覚えてるエピソードが2つあって。1つは、自分4人兄弟で、上に3人いて、自分が末っ子で。うちの実家は子供がきかん坊な時に、押し入れに閉じ込めて、外からつっかえ棒をして、「出して−、ごめんなさい−!」ってなったら、「ね、怖いでしょ?」って、謝ったら出してあげる、泣いちゃったら出してあげる、っていうのをやってたらしいんです。でも、俺は入れても、うんともすんとも言わないんです。ずーっと物音も立てずにいたらしくて、母ちゃんが心配になって開けようとすると、中からふすまを全力で押さえて開かないようにしてたと(笑)「出ていかないぞ!」って。だから、「もうごめん頼むから出てきて!」って言わないと出ていかなかったそうです。嫌な子ですよね(笑)

あと、うち、昔、母ちゃんが寿司屋やってたんですよ、ショッピングモールに入ってるような、手巻き寿司を売ってたりするようなとこをやってて。で、そこの外に、写真で子供が美味しそうに食べてるパネルを飾りたい、ってなって。俺とすぐ上の兄貴、まだ小学校低学年のときですね、写真館で写真を撮ってパネルにして飾るんですけど、兄貴は、食べられないサンプル寿司なんですけど、満面の笑みで食べてて、顔にちょっとお米でもつけてにこーって笑ってるんですけど、俺、真顔なんですよ。絶対笑わないんですって。楽しい時以外に笑わないんで、よく母ちゃんに、「あんたもうちょっと愛想よく写ればいいのに」って言われてましたね。

 

テレビに出ない話

細美:今もそうなんですよ。例えば、自分、民放テレビは、木内さんを目の前にして話すのもうどうかと思うんですけど、あれは人類のために良くないと思ってるので。だからボイコットしようと決めていて。だから全部お断りしてるんですね、昔から。で、何ていうのかな、面白くもない時にみんなでワハハーって笑顔をするじゃないですか?どうやってもできないんですよ。その、かっこ悪いとか思ってるとかではなくて、できないんですよね。

 

本音の話

以前、あんまり細かく言うと誰ってわかっちゃうんでぼやかしますけど、とある社長の方がみえて、「お近づきの印に…」って言って、iPod、クラシックですね、最初に出たやつですね、みんなが、すごいのが出た−!ってなってた時期に、楽屋に挨拶に来てくれて時にメンバー4人の分買ってきてくれたんですね。で、もらう理由がないじゃないですか?知らない人に。俺も言い方はほんとにひどかったと思うんですけど、ガキんちょだったんで申し訳なかったなと思うんですけど、「俺を金でどうこうしたいんだったら、ジェット機を買ってきてくれ」って言ってiPod返したんです(笑)ジェット機だったら考えてもいいかなって(笑)

木内:計算とかでなく本能的に出ちゃうの?

細美:そういうものを買ってきてお近づきの印にってなるのが、そもそも僕舐められてる気がしちゃうんですよね。

やっぱり本質的なものをズバッと、何事も言うべきだと思うんですよね。人って結局、その話を聞いてる時にその話の内容がいかに素晴らしいかとか誠意の感じる文章として成立しているかとか内容がどうだ、とか実はあまり聞いてなくて。内容が例えば少し劣悪だったりとか品がなかったりしても、その人が本音で喋っているって思ったことに触れると、わりと感動しますよね。(後編に続く)



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